Haves 第二話 「十年後・物語は動き始める」
「ほら、純! 起きなさい!」
大声で起こされ、布団を剥がされ、純は驚きと勢いで転げ落ちた。天井と女性の顔が視界に入る。背中には硬い感触。
「いててて……何すんだよ、明美姉ちゃん!」
「もうすぐ七時半よ? 学校は休みじゃないわよ」
「今日一時間目化学の磯野だからいいんだよ。あいつ出欠甘いから」
「そういう問題じゃないでしょ! ほら、とっとと起きる! もう他の子たちは学校に行ったわよ!」
明美にせかされ、純はしぶしぶ起きた。
「着替えるから出ていけよ。あ、今日の朝飯何?」
「寝坊した人にはありません。皆揃ったときに食事。それがこのホームのルール!」
びしっと断言して明美は部屋を出て行った。
純はのろのろと着替え始める。パジャマ代わりのTシャツと短パンを脱ぎ捨て、黒の詰襟の制服に着替える。ぺたんこの鞄を持って部屋を出た。
古い木造の建物が持つ独特な匂いが鼻をついた。
「あ、じゅん兄ちゃんだ!」
おぼつかない足取りで小さな男の子が廊下の向こうから純に駆け寄ってくる。
「おはよう兄ちゃん。これからがっこ?」
「あー……。……次郎、お前はいいよなあ……まだ学校なんて面倒なもんないからなあ」
「ぼく、早くがっこ、いきたいよ」
「いいや。あんな場所行かなくていい。あそこはなあ、テストと呼ばれる悪魔で全てが決まってしまう最悪の場所だ! たとえ俺のような超美形で勉強以外には長けている人間でもそれが出来ないからといって簡単に切り捨てるような場所だ! 学校に入ったらお前なんか苦労するのがオチだ。それに」
「あ、えんちょーせんせー!」
次郎が発した言葉に純は振り返る。ちょうど赤ん坊を抱いた中年男性が木製の階段降りてくるところだった。
「やあ、純。おはよう」
「おはよーおっちゃん」
「こんなところで油を売ってていいのかな? 学校に遅れるよ?」
「あー別に。今から行こうがあと一時間してから行こうが、変わらねえし」
「そうかあ。まあ確かに君にとっては変わらないだろうが明美にとってはどうだろうなあ。君が一時間もいたら、君は今日の夕飯抜きかもねえ。いや、更に布団没収とかもありえるねえ。更に小遣いカットとか……」
「げげっ! 勘弁!」
「さあさあ。嫌ならとりあえず行っておいで」
園長の言葉に純は頷き、一目散に玄関から駆け出していく。
「いってらっしゃーい、じゅん兄ちゃーん!」
次郎がにこにこと手を振る。
そこへ明美がやってきた。
「パパ、純は?」
「今学校へ行ったよ」
「そう、よかった」
「ねーあけみ姉ちゃん。遊んで」
「後でね、次郎。お姉ちゃんまだ仕事があるから。向こうで遊んでなさい」
「はーい」
次郎は廊下を小走りし、別の部屋へ向かっていった。その後ろ姿を見ながら、園長は一つ溜息を漏らす。
「どうしたのパパ」
「いや。純くんが此処に来たのも次郎くらいのときだったでしょう。それを思い出したんです」
「ああ……そうね……もうすぐ、十年になるのね、あいつが此処に来て」
様々な事情で親と離れて暮らさなければいけない子供たちが集うこの場所、『夢見が丘園』に純が来たことを明美は思い出した。
『利王市の強盗殺人事件』
『世間一般にはあの事件の十番目』
『母親を殺され、父親は不明』
『精神は安定しています』
『普通の子供となんら変わりありません』
『よろしくお願いします』
「……まあ、最初はどうなることかと思いましたが案外真っ直ぐ育ってるからよしとしましょう」
「あれが真っ直ぐ?」
園長の言葉に明美は首をかしげた。
一時間目が始まる十五分前。
純は教室へと入った。
「あれ、純じゃん。はよーっす」
気付いたクラスメイト、一樹が声をかけてくる。
「あー……はよー」
「どうしたんだよ、純。早いじゃん」
「叩き起こされたんだよ」
少し長めの前髪をかきあげながら、純は鞄を机の上に置く。そのまま鞄に顔を埋めるようにしてつっぷした。
「――早速寝るのぉ? 少しは勉強する意欲―見せたらぁ?」
そんな純にくすくすと笑いかける声があった。その方向へと純は首をひねる。
セミロングの少女が笑っている。
「……天利。お前に指図される筋合いはねえ」
そう言って再び顔を伏せる。
「純!」
だん! と一樹が机を叩いた。びっくりして純は顔を上げる。
「な……なんだよ」
「天利ちゃんに対して冷たいぞ! こんな……こんなに可愛い幼馴染がいるのに! お前には勿体無い!」
「変態、少し黙れ」
「俺は変態じゃない! 可憐なる美少女を見て何とも思わないお前の方がおかしい。天利ちゃん、こんなやつ見捨てて俺の元に!」
ばっ、と一樹は天利に対して両手を広げた。
「あ、そうそう純。今日六間目授業なーい」
「……酷いよ、天利ちゃん」
あっさりと無視され、一樹は座り込んで床に『の』の字を書き始めた。
「まじで? じゃあ五時間目終わったら帰れるじゃん!」
純も一樹を無視だ。
「ぶー。残念でしたー帰れませーん」
あっさりと否定され、純は一気にして不貞腐れた。
「何かあんのかよ……生徒会選挙とか?」
「……うわーここに馬鹿がいるよ馬鹿が。つい一週間前に終わったばっかだっていうのに」
ふふふ、と笑いながら一樹が復活してくる。
とその時、担任教師が教室の前の扉から顔を覗かせた。なんだ、と生徒たちはいっせいに注目する。
初老の男性教師が口を開いた。
「あ〜科学のぉ磯野先生がぁ、急病のためぇ、一時間目は休み〜」
途端生徒たちの間から歓声が上がる。担任はすたすたとそのまま行ってしまった。
「あーこなくてもよかった……」
「早起きはー三文の得っていうじゃーん。悪いことじゃないと思うけどなぁ?」
不機嫌モード全開の純の顔を天利が覗きこむ。大きな黒色の瞳が純を見つめていた。思わずどきりとして純は慌てて目を反らした。
「そ、それで? 六時間目は何があるのかな、一樹くんっ?」
「何か慌ててるよこの人。ついさっきまで天利ちゃんに冷たかったのに」
怒りをあらわにしながら一樹は言った。
「で、何があるんだよ?」
「天利ちゃんに冷たくする西原くんには教えてあげられませーん……ぐふっ!」
おどける一樹に純は無言の一撃をお見舞いする。
「教えてくれるかなあ? 山田くん」
目が笑っていない笑顔を純は一樹に向ける。
「ああああ天利ちゃん助けて!」
「ちゃんと話せば純は許してくれるよー」
「はいはいはい、話します喋ります吐きますっ?」
「吐くなっ!」
「ふぅ……なんでも進路選択のためのテストがあるんだって」
「テストぉ?」
純の眉間に皺が寄る。
「すっごく分かりやすい人がここにいるよ……テストって言っても、心理テストみたいなもんらしくて。自分の性格を分析して将来を決めなさいってことらしい」
「あーうぜえ」
頬杖をし、純は深く溜息をつく。
「しかもそれで優秀な人材である、とか潜在能力が高いとか……認められたら鳳凰学園高等部への転入があるらしい」
「鳳凰学園?」
聞き慣れない単語を純は素直に聞き返す。それに答えたのは一樹ではなく、天利だった。
「旧鳳凰財閥、現鳳凰グループが全面出資している学校ぉ〜。幼稚園から大学まであるんだってぇ。あたしたちに関係がある高等部はなんでもー離れ島らしいよぉ?」
「うわーそんなところ絶対行きたくねえな」
「そぉ? 設備も何もかも揃った学校だよ? ここよりはいいと思うけどなー」
「純はそんな心配する必要ない。何故ならお前は馬鹿だからそんな力ない!」
一樹がくくく、と喉の奥で笑う。そして天利の手をがしっ握った。
「さあ、俺と二人で鳳凰学園に行こう天利ちゃん! そして結婚式をあげるんだ!」
「飛躍しすぎだろお前!」
純は彼の腹に一撃をお見舞いした。
――一週間後。
鳳凰学園高等部校舎内のとある一室。
「……また一人消えたって?」
立派な革張りの椅子に座った少年が言いながら、机の上に置いてあった片眼鏡を手にした。レンズについているほこりをとろうと、拭き布を手元に引き寄せる。
「いなくなったのは二年生の男子生徒。前回いなくなった子とは何の関連もなし」
バインダーを手にした少女が言う。彼女が頭を動かすたびに二つに分けて結んだ髪の毛が揺れた。
「手がかりは?」
片眼鏡を右目にかけて、少年は視線を右側へとずらす。
そこには壁にもたれかかっている一人の少年がいた。その格好は皮づくめで黒づくめ。左腕は完全に皮で覆われている。
「これも前回と同じ。いなくなった生徒の部屋を調べてみたところ、銀色の体毛が発見された」
「全く生徒会の仕事を増やさないで欲しいな。本業だけでも大変なのに」
片眼鏡の少年は立ち上がり、窓の外を見る。
「そうそう会長、別件で報告があるぜ」
にやりと笑いながら少女が告げる。
「何?」
「二日後に新しい子たちが転入してくる」
少女の言葉に片眼鏡の少年の顔が少しだけ緩んだ。
「その子たちが新しい戦力になってくれることを期待しよう」
紡がれた言葉にその場にいた全員が頷いた。
「……とゆーわけで、俺、転校が決まった。向こう全寮制らしいから此処、出なきゃいけねえ」
純は明美に告げた。ちょうど夕食が終わった時間だ。ホームの他の子供たちはさっさと部屋に引っ込んでしまっている。純は食堂に残ってジュースを飲んでいた。
「あんたがあの鳳凰学園にねえ……。そのなんとかってテスト、狂ってんじゃない?」
お皿を片付けながら明美が答える。傍では園長がにこにこしながらそれを聞いていた。
「まあまあ、いいじゃないですか。純くん、しっかり頑張ってくるのですよ」
「まあ、適当にやってくるわ」
「純」
最後の一枚を仕舞い終わった明美が純の方を向いた。
「天利ちゃんとも一緒なの?」
その言葉に純は飲んでいたジュースを噴出しそうになった。
「な、なんであいつの名前がここで出てくるんだよっ?」
「だって、あなたたちいつも一緒だから。転入しても一緒なのかなって」
「……何故か知らないけどあいつも転校するって」
「やっぱりね」
「何がやっぱり?」
「あなたたちが離れるわけないと思ったわ」
「幼馴染なんて……じ、邪魔なだけだ」
ジュースをわざと乱暴に純はおいて立ち上がり、去ろうとした。
「純」
その背中に明美は呼びかける。
「此処はあんたの家よ。淋しくなったらいつでも帰ってきていいのよ? 昔みたいに明美姉ちゃーんって泣きついてきたっていいんだから」
喋る口元が悲しげに窓に映った。
葉が一枚、木から落ちて風がそれをさらっていく。
もうすぐ季節は秋になる。
「……誰がそんなことするか、ばーか!」