Nothing but voice love
アパートの共用玄関にある郵便受けに要(かなめ)は手を伸ばした。一瞬、開けるのを途惑う。けれど、
溜息でそれを外に押し出した。
「……本当に送ってきた……」
中に入っていたのは薄い封筒。それに深い溜息を添えて、自分の部屋へ向かう。
鍵を開けて中に入った。
封筒をテーブルの上に投げ出した。コツ、と軽い音を立てるそれ。
「……一応、開けるか――」
中身はもうすでに分かっているけれど。
鞄を放り投げて、気乗りしない様子で鋏を取る。
封を切り、封筒を逆さまにした。
滑り落ちてきたのは、鍵。
この部屋の合鍵。
『アタシ、他の男と付き合うことにしたから』
一昨日言われた言葉が頭の中に響く。
『鍵は送るから』
「はあ……」
改めて要は自覚する。それと同時に何をする気も失せていった。
「あー……教授からの課題があったんだっけ〜うーん……」
嫌なものを追い出すように要は頭を振る。
「ああ、もうっ! 外に出よう!」
気分が乗らないときは外に出てとにかく日が落ちるまでうろつく――それが要の気分転換方法。
先ほど放り投げた鞄を再び背負って――要は夕闇に沈んでいく街へと繰り出した。
◇
◇ ◇
ここはいつも騒がしい。
要が住んでいるアパートの最寄り駅からわずか一駅先のこの地域はこの辺りで一番と言われる繁華街だ。妖しげな風俗の店が並び、ビルの地下へは目を血走らせた男が入っていく。路上では挑発的な化粧をした女が客引きをやっていた。
要はその繁華街のメインストリートを歩いていた。
「よ、御兄さんっ! うかない顔してるねえ。うちで遊んでいかない?」
「綺麗な子、可愛い子、色々取り揃えてるよっ!」
誘いの声をかわしながら要はただひたすらに歩く。
耳に入ってくる様々な音は要に何も考えさせてはくれない。それが今の要には嬉しかった。
『御兄さん、ダメよぉ。そんな顔してちゃ、せっかくの顔がだ・い・な・し』
機械的な女性の声が響いてくる。
それは自動販売機だった。落ち込んでいる要を見て声をかけたのだろう。プログラムされたとおりに。
この時代に生きる人間にとってそれは珍しいものでもなんでもなかった。
自動販売機が心を持って道行く人たちの話を聞いてくれる存在になってくれたらどんなにいいだろう。これならどんな人でも相談相手が出来る、もう寂しくなんてない――。
昔、そんなことを考えた人がいたらしい。そしてその人は機械の心を作り出した。そしてその作り出された心はさっそく自動販売機に組み込まれたのだった。
評判は上々。落ち込んだ時には話しかければ慰めてくれるし、酔っ払いの愚痴にも根気良く付き合う。
そんな自動販売機。
要は、無視して足早に歩き出した。
繁華街を抜けて、やってきたのは小さな公園。騒がしい場所を抜けた後の静かな場所。その落差は要にゆっくりと日常に戻る時間をくれる。
「んっ……」
手ごろなベンチに腰を下ろした。
そして溜息を一つ。
「俺の何処がいけなかったのかなー……」
『……何かあったんですか?』
突如響いた声に要は驚く。さっきは気がつかなかったがベンチから少し離れた所に自動販売機があった。
『どうしたんですか? そんなに驚いて……』
「あ、いや……」
要はその声の透明さと綺麗さに驚いていた。さっき聞いた女性の機械的な声とは違う、より人間味がある少女の声。
「――いや、なんでもないんだ」
『そうですか? それにしてはお顔が暗いですよ……?』
「本当に何でも」
あ、と要は思う。相手は自動販売機。心を持つけれど所詮は機械。
人間の相手をさせられるためだけに作り出された存在。ぶっきらぼうに言っても全然かまわない。
「……聞いてくれるか?」
『はい、もちろん』
「失恋したんだ。ふられた」
『……それは……悲しいですね』
紋切り型の返答。
「だから、今落ち込んでるってわけ。俺のどこがいけなかったんだろうって」
『その気持ち……分かります』
「……分かる?」
機械の返答に要は思わずムッときた。
「恋愛なんてしたことがない、機械のお前に何が分かるんだよっ?」
『あ……ごめんなさい……そうですね、私は機械なんです。機械のフリをしなきゃ……』
「――フリ?」
『あっ……』
機械が黙り込む。要は今までこんな反応は見たことがなかった。
「もしかしてお前、何処からかこの自販機に接続してる人間?」
『……そうです。……内緒にしてください……』
弱い声に要は思わず笑ってしまった。
『な、なんで笑うんですか?』
「ごめん。何か嬉しくなってさ。俺が今話してるのは人間なんだなって。でも何でこんなことしているわけ?」
『――それも――内緒です。』
「あっそ。」
そんな返事をしながら要は笑っていた。
『素敵ですね』
「何が?」
『その笑い方が。貴方をふった人はきっと男を見る目がなかったんですよ。そんな人とは別れられて良かったですよ』
「……随分なこと言うなあ」
『そういう人がいましたから、傍に。人間の心情には長けてるつもりです』
機械の声に要はまた笑いそうになった。
「ありがと」
『え?』
「だいぶ楽になったわ」
『そう……ですか?』
ベンチから要は立ち上がる。
「これからも時々、俺の話聞いてくれよ」
『私でよければ……喜んで』
機械の声を背に、要は公園を立ち去った。
その気配を少女は遠く離れた所で感じ取っていた。接続しているのは声だけだから、姿は見えないのだ。
少女はそっと息を吐いた。
初めて言葉を人と交わした。
公園に佇む、寂れた自動販売機として。
(――時々、で構いません)
この無機質な部屋を新しい声で埋め尽くしてくれれば。
言葉どおり、要は時々その場所を訪れた。
顔が見えない、声だけの存在に要は笑いかける。
誰にも言わないという約束を守りながら。
「――でさ、教授が俺のレポートを……」
『それは酷いですね』
「だろー? あ〜大学でもせめて努力点くらいは欲しいよな〜」
そんな他愛もない会話を要はその見えない少女とする。暫くすると、決まった時間に要は必ずそこへと足を運ぶようになっていた。
その理由を要は自覚しつつあった。
声だけの少女に恋をしていると。
「元気か?」
要はベンチに腰を下ろして自動販売機に話しかけた。
しかし、いつものようにそれからは何の返答もない。
「――どした?」
『私……明日からここにいられなくなるんです』
「え……っ?」
唐突な言葉に要は問う。
『明日……明日、手術があるんです……だから、父が今日が最後だと……』
少女が漏らした何の飾りもないその言葉から、何故こんなことをしていたかが明白になる。
少女は――外に出られない。
「そうか……頑張れよ」
『は……い』
要はそっと自動販売機に手を添えた。もし相手が目の前に本当にいたら、抱き締めるのに。
「短い間だったけど、お前と……いや、君と話せて楽しかった」
『私も……です』
「なあ、名前教えてくれよ。俺は要、井上 要」
『井上……さん』
「要でいいって」
もう明日から逢えないと分かっていて、言葉を交わす。
『私は……みつき……と言います』
「漢字は美しい月?」
『そうです』
「……美月、頑張れよ。……じゃあな」
『――――さようなら』
要は振り返らずに走り出した。
◇
◇ ◇
少女と――美月との別れから二週間後。
要は友人の見舞いに病院を訪れた。
「おーい、来てやったぞ」
「悪りいな、要〜」
「ったく、免許とったばっかで無茶してさ」
お見舞いのフルーツ籠を要はサイドテーブルに置く。
「そういえばさ」
「なんだよ」
「お前、彼女と別れたの?」
「はぁ? 何言ってるんだよ。あいつとは三ヶ月も前に別れたぞ」
「そいつじゃなくて、新しい方!」
「新しい……?」
「とぼけるなよ〜。お前毎週火曜日はどんな誘いでも断ってただろうがぁ〜?」
「あ……」
「その様子じゃあ、また破滅か……どうしてお前はそう」
コンコン、と控えめなノックの音が言葉を遮る。
「検診の時間です」
「あ、もうそんな時間か……要、悪いけど」
「分かったよ。適当に時間潰して、また来るわ」
要は退室し、適当な方向に向かって歩き出した。病院の独特な匂いを感じながら、なんとなく中庭へと向かう。
先ほど突かれた痛みがまだ残っている。
顔さえ知らないまま、終わった恋。
「は〜あ……」
大げさに溜息をついた要の目前で病室の扉が開いた。
「……ぁ」
出てきたのは車椅子に乗った少女。
胸が痛んだ。
少女は要と同じ、中庭へと向かっている。その後姿から目を逸らした。
『草薙 美月』
「え……っ? ……いや、まさか、な」
そんな偶然すぎることあるわけがない。声を介していただけの恋。
いつの間にか要は少女の後を追っていた。
車椅子の少女は、噴水の傍で止まった。水面と庭で遊ぶ鳥たちとを、交互に見ている。その顔には微かな笑みを浮かべて。けれど要はその笑みを何故か悲しいと感じてた。
歳の頃は十五、六。豊かな黒髪と色素が少しばかり薄い肌。
意を決して要は彼女に近づいた。
――もし、あの少女であれば。
声を聞けば分かる。
声を聞かせれば、分かって貰える。
「――――こんにちは」
要の声に少女が振り向く。
「もしかして……その声……井上さん……ですかっ?」
二週間前と同じ、透明で綺麗な声。
要は心の底から笑った。
「要でいいって言っただろ、美月」
「要――さん」
美月の手が、要に伸ばされた。
――憂いが去った笑顔と共に。